オタクガタリズ

Twitter: @m2r_an

シャルロットを演じる徳川まつりさんの話

シャルシャロの話です。

 

美しくも繊細な世界観をもつ作品で、考察するのも無粋かなあとは思うんですが、ただ『エピローグ』のまつりの最後の言葉がひっかかったので、それについてオタクガタリをしようと思います。

とはいえそれを語るには作品のテーマの解釈が前提になるので、軽くですがまとめようと思います。詳しく書いてるブログもあるのでそちらも参照してもらえれば。当然ながら以下ネタバレを含みます。

 

 

ドラマパートを聴いた方にはなんとなく伝わるでしょうが、本作のテーマは"シャルロットの精神的成長"にあるでしょう。シャーロットとの出会い、環境への"反抗"を経て"自立"し、屋敷という"閉じた世界"から、寄宿学校の"開けた世界"に自らの意思で解放される、というのが大筋になると思います。

これに沿って考えると、シャーロットとの別れが、すなわちシャルロットの"自立"を意味するのでしょう。ならシャーロットの正体は?という話になると思いますが、おそらくはシャーロットは、"シャルロットの作り出したイマジナリーフレンド"、と考えるのが一番ありえそうです。

以前イマジナリーフレンド(以下IF)を題材に扱った考察をしたことがあって(さよならアンドロメダの「僕」と「君」ですが)、そこからIFの簡単な解説を抜粋します。

イマジナリーフレンドというのは、その名の表す通り、脳内の「空想上の友達」のことです。人間関係に不慣れな子供に起こりやすい現象で、言うなれば自問自答の具現化です。そしてそれを「忘れる」、すなわち、「イマジナリーフレンドと別れる」ことは成長の通過儀礼とされています。

「 さよならアンドロメダに見る"夢追い"の物語」/「なま」の小説 [pixiv]

実母の死、虚弱体質、閉鎖的な家庭環境、継母への不信感など、シャルロットにはIFが発現してもおかしくないほどの負荷がかかっていたように推測できます。ウェンズデーやフライデーからは姿は見えないことも、シャーロットがシャルロットの頭の中でのみ存在することの根拠になります。

 

とはいえ、「現実世界に物理的に影響を及ぼしている」ために、シャーロットIF説を否定できそうな材料も2つほどあります。

ひとつは、"野ばらの柄のティーセット"。

シャルロットとシャーロットが初めて出会ったとき、シャーロットは月明かりを薬指にとって欠けたティーセットを修復しました。

こうした"魔法"を使ってることからシャーロットは霊的ななにかでは?と疑いたくなりますが、あくまで屋根裏のくだりはシャルロット視点で語られているため、月の光の魔法も、果てはシャーロットの存在自体もシャルロットの幻覚にすぎないのではないか、となります。

ちなみに物語の最後、寄宿学校に旅立つシャルロットに母親から、屋根裏部屋にあったそれと同じ"野ばらの柄のティーセット"を贈られます。街で東洋の技術を用いて補修した、と言っているので、"月の光の魔法"はシャルロットの幻覚だったというのが明らかになります。

 

もう一つ、後編でシャーロットがシャルロットに託した"スズランの香水"。シャーロットはこれを毒と偽り、継母のお茶に混ぜるよう唆します。

ここでシャーロットは物理的に干渉していると思われますが、結果だけ追うと、シャルロットが継母に紅茶を淹れ、スズランの香水の小瓶を首から下げたことにすぎません。ここでシャルロットがスズランの香水を"毒"と思い込んだことは、継母に募る不信感の表れと、接触の動機づくりの意味合いがあったと解釈できます。

 

 

思いのほか前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題、徳川まつりがシャルロット役に選ばれたことに関してです。

まつりの特技欄に"演技"とあることは世界の常識ですね。彼女の演技に対するひたむきさは、様々なコミュで窺い知ることができます。ですが、ミリオンライブ!の作中でまつりの演技が見られるシーンは、実はほとんどありません。例えば聖ミリオン女学院等のイベントやカードのセリフでも、役柄にのめりこんで演じる、ということが厳密にはありませんでした。なので、今回のドラマパートはとっても貴重です。(TCも楽しみですね!)

 

そんな彼女のセリフでまず気になったのが、『オープニング』の最後、台本を亜美真美に読み聞かせるときの語りです。

「物語のはじまりは、いつもこうなのです。むかしむかし、あるところに、1人の少女がいました…。」

シャルロットとシャーロットの2人の物語とも捉えられる本作ですが、この発言でまつりは"1人"と、すなわち、シャルロットとシャーロットが"2人で1人"であることを明確に意識しています。当然といえば当然なんですが、エミリーに対してまつりは"大人として"ストーリーを理解している、という点が重要です。

それに対して、エンディングのエミリーとまつりの会話を見てみます。

「私は少し、悲しくなってしまいました。シャルロットは、どうしてシャーロットとお別れしなくてはならなかったのでしょう」

「それが、"大人になる"、ということなのです。エミリーちゃんにも、いずれ分かるのですよ」

「そうなのでしょうか…。わたしは、シャルロットとシャーロットに、ずっと一緒にいてほしかったのですが…」

「今のエミリーちゃんには、それでいいのです。急がなくてもいいのです。」

 バケモンエモエモポイントですね。

 シャーロットと別れることの意味をよくわかっていないエミリーを、今はそれでいいのですと諭すまつり、あえて語ることはないでしょう。憶測も憶測ですが、まつりにもイマジナリーフレンドがかつていた可能性もあるかもしれませんね。直接関係はありませんが、まつりは「作り込まれた世界を見ていると、安心できるのです。」なんて発言もありますし。*1

そして気になったのは次の言葉です。

「お話の中では、お別れしなくてはいけなかった2人ですけど…、アイドルになれば、ずっと一緒にいられるのです。ね?」

この発言から、まつりにとっての『アイドル』の価値を垣間見ることができます。

「ずっと(IFと)一緒にいられる」と解釈すると、換言すれば「ずっと(精神的に)子供のままでいられる」ということになります。これをアルティメット解釈すると、アイドルになることで幼いころの自分の”夢”を忘れないでいられる、と捉えても差し支えないのでは…?と思えてきます。*2

総括ですが、まつりはGirly×Cuteな輝きを叶えていきたくてアイドルになったんだと思います。まつりの”きらきら”で、”ふわふわ”なオリジナルの世界の根底には、幼いころに芽生えた夢があって、それがアイドルとしての強い意志、原動力に繋がっているんだと思います。そうした信念をもつまつりがシャーロットを演じるのは、何というかえもいなあと、そういったことを書きたかったんです。神戸公演がんばっぺ!

 

《おまけ》

本作に登場する2人のメイド、ウェンズデーとフライデーですが、どうして曜日の名前?と気になった方は多いかと思います。ぼくは気になりました。

世界観的に、曜日に関連するような文献を思い浮かべてみると、どうも『マザーグース』の一節のような気がしてならないのです。

マザーグースによれば、

・水曜日生まれの子供は"悲哀"でいっぱい

・金曜日生まれの子供は"慈愛の心"に満ちている

"悲哀"と"慈愛"。これがシャルロット・シャーロットの裏テーマのような気もしますね(妄言)。

*1:【復刻】ようこそ!アイドル学園天国 アイドルフィーチャリング

*2:解釈違いはごめんなさい